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『万葉集』中、ムラサキをよむ歌 
 

→ムラサキ


長歌

 ・・・ さ丹つかふ 色なつかしき 紫の 大綾の衣
 墨江の 遠里小野の 真榛もち にほしし衣に ・・・
   
(16/3791,読人知らず。別訓に「羅(うすもの)の 丹つかふ色に なつかしき 紫の ・・・」)


短歌

 天智天皇7年(667)5月5日、宮廷の人々は、近江の蒲生野(滋賀県蒲生郡安土町)にしめ縄を張って囲った紫野において、薬草狩りを行った。1/20;21 には、その折に 大海人皇子(おおあまのみこ,?-686,のちの天武天皇,在位673-686)とその最初の妻であった額田王(ぬかたのおおきみ)との間で取り交わされた、次の歌が載る。

 茜草(あかね)さす むらさき野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる
 紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を にくく有らば 人嬬
(ひとづま)故に 吾恋ひめやも


そのほか、

 紫の 根延(は)ふ横野の 春野には 君を懸けつつ 鶯鳴くも (10/1825,読人知らず)
 紫草を 草と別々
(わくわく) 伏す鹿の 野は殊異(こと)にして 心は同じ (12/3099,読人知らず)
 むらさきは ね
(寝)をかもを(竟)ふる ひと(人)の児の
   うらがなしけを ね
(寝)をを(竟)へなくに (14/3500,読人知らず)

 紫は灰指す物ぞ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の街(ちまた)にあひし児(こ)や誰(たれ)
     
(12/3101,読人知らず)

 から人の 衣染むとふ 紫の 情
(こころ)に染みて 念(おも)ほゆるかも (4/569,麻田連陽春)
 託馬野
(つくまの)に 生ふる紫 衣に染め 未だ服(き)ずして 色に出でにけり (3/395,笠郎女)
 紫の 綵色
(しみ)の蘰(かづら)の 花やかに 今日見る人に 後恋ひむかも (12/2993,読人知らず)
 紫の 糸をそ吾が搓る 足ひきの 山橘を 貫かむと念ひて
(7/1340,読人知らず)

 紫の 我が下紐の 色に出でず 恋ひかも痩せむ あふよしを無み (12/2976,よみ人しらず)
 紫の 帯の結びも 解きも見ず もとなや妹に 恋ひわたりなむ
(12/2974,読人知らず)
 


枕詞「紫の」(匂う・名高・こ にかかる)

 紫の 名高の浦の 愛子地(まなごつち) 袖のみ触りて 寝ずか成りなむ (7/1392,読人知らず)
 紫の 名高の浦の 名告藻
(なのりそ)の 磯に靡かむ 時待つ吾を (7/1396,読人知らず)
 紫の 名高の浦の 靡き藻の 情は妹に よりにしものを
(11/2780,読人知らず)
 紫の 粉滷
(こがた)の海に 潜(かづ)く鳥 珠潜き出でば 吾が玉にせむ (16/3870,読人知らず)
 



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